ザンクト=フィート:歴史の十字路に立つ、ベルギー・ドイツ語共同体の心臓部
ベルギーと聞けば、多くの人々はブリュッセルの壮麗なグラン=プラス、ブルージュの絵のように美しい運河、あるいはワロン地方の古城が点在する渓谷を思い浮かべるだろう。
しかし、この国の東端、ドイツとルクセンブルクの国境にほど近い場所に、フランダースでもワロンでもない、第三の公用語共同体である「ドイツ語共同体」の文化と歴史を色濃く反映した、ユニークで重要な都市が存在する。
それが「ザンクト=フィート」である。バルジの戦いで壊滅的な破壊を経験し、灰の中から不死鳥のように蘇ったこの街は、壮麗な中世の建築物ではなく、その複雑な歴史の地層と、豊かな自然、そして美食によって訪れる者を静かに、しかし深く魅了する。
1. 基本情報:ドイツ文化圏に属するベルギーの街
ザンクト=フィートは、ベルギー南東部のワロン地域リエージュ州に属するが、行政的には約7万8千人が暮らす「ドイツ語共同体」の南部の中心都市としての役割を担っている。
- 地理と自然: アイフェル高原の西端に位置し、周囲はホーエス・フェン(Hautes Fagnes / Hohes Venn)に代表される広大な森林、渓谷、高原といった豊かな自然環境に恵まれている。この地理的特徴から、アウトドア活動の拠点として絶好のロケーションを誇る。
- 言語と文化: 街の公用語はドイツ語である。看板、メニュー、人々の会話、すべてがドイツ語であり、一見するとドイツの地方都市と何ら変わりはない。しかし、ベルギー国家に属しているという意識と、フランス語圏ワロン地域との交流が、ドイツ本国とは異なる独特の文化的なアイデンティティを生み出している。
- アクセス: ベルギーの主要な鉄道網からは外れており、公共交通機関でのアクセスはバスが中心となる。リエージュや、近隣のヴェルヴィエ、オイペンといった都市からバス路線が結ばれている。車でのアクセスが最も便利で、ドイツのケルンやアーヘン、ルクセンブルク市からも高速道路網を利用して1時間半程度で到着できる。
2. 歴史:栄光、悲劇、そして再生の物語
ザンクト=フィートの現在の姿を理解するためには、その波乱に満ちた歴史、特にその帰属が幾度となく変わった過去と、第二次世界大戦での悲劇を知ることが不可欠である。
- 中世の交易拠点: 街の起源は中世に遡る。ケルン、リエージュ、ランスといった主要都市を結ぶ古代ローマ街道の交差点に位置していたことから、交易の拠点として発展した。街の名前は、ボヘミアの守護聖人である聖ヴィートゥス(Sankt Vitus)に捧げられた教会に由来する。12世紀にはリンブルフ公、後にルクセンブルク公の支配下に入り、1350年には都市権を授与された。
- ドイツへの帰属: ザンクト=フィートのアイデンティティを決定づけたのは、ナポレオン戦争後の1815年に開催されたウィーン会議である。この会議の結果、ザンクト=フィートを含む地域はプロイセン王国領となり、1871年のドイツ統一以降はドイツ帝国の一部となった。この約100年間のドイツ統治時代に、鉄道網の要衝として街は近代的な発展を遂げ、人々の言語、文化、教育は完全にドイツのものとなった。
- ベルギーへの割譲: 第一次世界大戦でドイツが敗北すると、1919年のヴェルサイユ条約に基づき、ザンクト=フィートを含むオイペン=マルメディ地域はベルギーに割譲されることになった。住民投票も行われたが、形式的なものであり、多くの住民はドイツへの帰属を望んでいたとされる。こうして、住民たちは一夜にしてドイツ人から「新ベルギー人」となり、言語的・文化的なマイノリティとしての複雑な立場に置かれることになった。
- バルジの戦いと壊滅: ザンクト=フィートの歴史における最大の悲劇は、第二次世界大戦末期の1944年12月から1945年1月にかけて繰り広げられた「バルジの戦い」である。この地は道路網と鉄道網が集中する戦略的な要衝であったため、ドイツ軍のアルデンヌ攻勢において、アメリカ軍との間でヨーロッパ戦線で最も血なまぐさい戦闘の一つが展開された。アメリカ軍の頑強な抵抗はドイツ軍の進撃計画を大幅に遅らせたが、その代償はあまりにも大きかった。1944年のクリスマスイブと翌日にかけて、連合軍による大規模な絨毯爆撃が行われ、中世以来の歴史的な街並みは完全に破壊された。戦後、街の90%以上が瓦礫と化し、ほぼゼロからの再建を余儀なくされたのである。
3. 主な見どころ:歴史の記憶と自然の恵み
バルジの戦いによる徹底的な破壊のため、ザンクト=フィートにはブルージュやゲントのような中世の街並みは存在しない。この街の見どころは、歴史の記憶を伝える建造物と、周囲に広がる雄大な自然そのものである。
- ビュヒェル塔(Büchelturm): 激烈な空爆を奇跡的に免れた、14世紀の城壁の一部である石造りの塔。瓦礫の中から唯一立ち上がっていたこの塔は、街の不屈の精神と再生のシンボルとして、大切に保存されている。
- 聖ヴィートゥス教区教会(Pfarrkirche St. Vitus): 戦後に再建された教会は、伝統的なゴシック様式ではなく、地元の赤みがかった砂岩を用いた、シンプルで力強いモダンな建築である。内部は明るく開放的で、過去の悲劇を乗り越え、未来へと向かう街の人々の信仰の中心地となっている。
- 歴史・郷土博物館「Zwischen Venn und Schneifel」: この博物館は、ザンクト=フィートを理解するための鍵となる場所だ。地域の地質学や伝統的な生活様式に関する展示に加え、最も重要なのがバルジの戦いに関するセクションである。兵士の遺品、写真、ジオラマなどを通じて、この地で何が起こったのかを静かに、しかし力強く伝えている。
- アイフェル=アルデンヌの自然: ザンクト=フィートのもう一つの主役は、周囲に広がる手つかずの自然である。ヨーロッパで最も広大な高層湿原の一つである「ホーエス・フェン」自然公園へのアクセス拠点として、ハイキングやマウンテンバイク、クロスカントリースキーを楽しむ人々で賑わう。特に、廃線となった鉄道路盤を利用して整備されたサイクリングロード「フェン鉄道サイクリングロード(Vennbahn Radweg)」は、国境を越えてドイツのアーヘンまで続く人気のルートだ。
- 美食の町として: ザンクト=フィートは、人口に対するミシュラン星付きレストランの比率がベルギーで最も高い町の一つとしても知られている。アルデンヌ地方の豊かな食材(ジビエ、ハム、チーズ、キノコなど)を活かした質の高い料理を提供するレストランが数多く存在し、美食家たちを惹きつけている。
4. 感想と観光のポイント:歴史と向き合う思索の旅
ザンクト=フィートを訪れた際の第一印象は、その「静けさ」と「新しさ」である。戦後に計画的に再建された街並みは整然としており、歴史ある他のベルギーの都市のような華やかさや喧騒はない。もし、中世の美しい街並みだけを期待して訪れるなら、少し戸惑うかもしれない。
しかし、この街の真の魅力は、その穏やかな風景の下に眠る、深く重い歴史の物語にある。ビュヒェル塔の前に立ち、周囲の新しい建物を見渡す時、かつてこの場所が瓦礫の山であったことを想像せずにはいられない。街を歩くこと自体が、戦争の無慈悲さと、そこから立ち上がった人々の強靭な意志を追体験する行為となるのだ。
また、聞こえてくるドイツ語、ドイツ風の建築様式、そしてベルギーの美食文化が融合したレストランなど、文化の交差点としての面白さも随所で感じることができる。ここは、歴史、特に第二次世界大戦史に深い関心を持つ人、そして喧騒を離れて美しい自然の中でアクティブに過ごしたいと願う人にとって、最高のデスティネーションとなり得る。
観光のポイント
- 歴史探訪: まずは歴史博物館を訪れ、バルジの戦いに関する知識を得てから街を歩くと、風景がより深く理解できる。
- アウトドア: ハイキングやサイクリングの計画は必須。観光案内所で詳細な地図やおすすめルートの情報を手に入れよう。
- 美食体験: 少なくとも一度は、地元の食材を活かした質の高いレストランでの食事を計画に入れたい。予約が推奨される。
まとめ
ザンクト=フィートは、ベルギーという国の多様性と複雑性を象徴する、非常にユニークで思索的な場所である。それは、単に「見る」ための観光地ではない。
歴史の悲劇に耳を傾け、文化の融合を感じ、雄大な自然に抱かれながら、静かに自分と向き合うための場所だ。もしあなたが、きらびやかな観光地の向こう側にある、その土地の真の魂に触れる旅を求めるならば、ザンクト=フィートは忘れがたい、深い感動と学びを与えてくれるに違いない。
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